ふぇぇ
筆がぜんぜん進まへん。
今朝、通学路を歩いてる時に「こんな面白い話を思いつくなんて、俺って天才じゃね?」と飛び上がりたくなるような物語のネタが閃いたんや。
せやけど、帰ってきてからノートパソコン開いて1000文字くらい原稿を打ち込んだところで賢者モード入りしたのん。
「これのどこが面白いんや……ドン引きやわ……」って。急にテンションがガタ落ちする。書いたの全消し。5000文字書いては5000文字消すような毎日。
そんな体験が新年明けてからすでに3回くらいあって、去年の12月からぜんぜん原稿が進んでない。真っ白やわ。
新人賞〆切も近づいてるのにどないすれば……。
(それスランプというより元々ひらめいたネタが大したことなかっただけでは……)
プロットも作らずにいきなり書き始めようとするから躓くんですよ、きっと。
いやいや、そのプロットを書く段階で、すでに萎え萎えになってしまうんやね。
もう今年に限っていえばプロットさえ書けんようになってしまった。
何を書いたところで「これって面白く無いんじゃ……」症候群に陥ってしまう。
実を言うとこのブログ記事ですら、オモロナイ症候群にやられて5記事(約2万文字近く)も下書きを削除してまった。
ほんま万策尽きた――って感じやな。このスランプ。
メタネタで恐縮ですが、そしてここだけの話ですが……。
じつはこのブログが特にメリットらしきメリットもなく、二人の女子高生の会話文形式で進行するような形をとっているのは《書けない症候群》を回避する意味もあるんです。
この記事のような『会話形式』を使うと、記事が比較的書きやすいのですね。たとえどれだけの書けないスランプに陥ったとしても、この方法を使うと筆が進むので不思議です。
以下では書けないスランプに陥ったときの対処法を考えていきます。しかし中の人が絶賛スランプ中なので、なんというか説得力がないです。苦し紛れながらも脱出法を思考してみましょう。
1.「書こう」「書かねば」の強迫観念を取り除く
何かを書こう書こうと思っているのに書けないのは、ある種の強迫観念に囚われて頭がリラックスできないからというのがあります。
例えば、
- 「芥川賞に選ばれるような最高傑作にしてやる!」
- 「この記事で俺は初の100はてブを達成するんだ!」
- 「プロ小説家を目指すのであれば一日五千文字はなんとしても書かねば……」
といったように、書こう書こうという意気込みが強すぎるとかえって書けなくなる現象――、きっと誰しもが一度は身に覚えがあるのではないでしょうか。
そんなときは思考のなかからできるだけ「書こう」と焦っている気持ちを追い払ってやる必要があります。
一番簡単なのは「書く」から「話す」へ考えを切り替えてみることです。
小説では三人称よりは一人称、とくに心理描写やモノローグ部分は比較的書きやすいと思います。これは一人称の心理描写・モノローグが「書く」よりかは「話す、語る」の文体に近いからです。あとで大幅に改稿、推敲することを前提とすれば、最初は全て「語る」形式で書き進めてみるのも良いかもしれません。
難しく名文を書こうとするのではなく、まずは話すような気軽さで筆を持ってみましょう。
(追記:『会話形式で書く』について)
これは作中キャラの台詞・会話文から書くことを意味するのではなくて、誰かと会話するような文体で描写をおこなう、の意味。具体的には、神様視点の文体よりかは、話者Aと聴者Bを想定し、A→Bに物語を語り聞かせるようなイメージで書くと書きやすいといったニュアンス。話者ノットイコール主人公でももちろん良くて、三人称でも語り文体で書くことはできる。
ようは「地の文」を語る視点と、「地の文」を聞かせる相手とを想定すると書きやすい――という話。
また、会話形式では聴者Bによる質問、疑問を想定し、それに答えるようにして地の文に情報を入れていく。
あとこれはまだ実験段階ですが、このブログのように二人の架空人物を用意して対話形式で話を進めてゆき、あとで片方の人物を抹消すればふつうの形式の記事にも戻せますし、うまくいけばこれを応用してミステリーみたいのも書けそうです。
まとめると、
書けないときは、「話す」「語る」「会話する」
に思考を転換することで、ある程度の文書は書けちゃえます。
あとはエア友達を利用した執筆方法もあります。
えっ、エア友達とか抹消するとか……まきちゃん一体何言うてるん……。
2.「自分の作品は果たして面白いのか?」の自問自答は解決不可能と知る
「自分の作品は果たして面白いのか?」と自問自答して深みにハマり、書けなくなってしまうこともあると思います。この問いは、論理学的には解答が出ないものです。
例えば二人の人物がいて、
- 「あのアニメは神だ、最高にクールな面白い作品だ!」
- 「何を言うか、あんなデウス・エクス・マキナ(ご都合主義的エンド)、糞アニメ以外の何物でもない」
と喧嘩していたとして、この争いに客観的な勝敗をつけるとすれば《DVDが何枚売れた》などの外部性のある資料を持って来ればある程度は解決するでしょう。
しかし、まだ未完の自分しか知らない、書きかけの小説作品について「これは果たして面白いのか」を問う――これは典型的な自己言及のパラドックスを生じさせます。
自己言及のパラドックスは構造的に解決不可能なため、問うだけ徒労に終わります。
つまり、執筆途中はこの手のことは考えないに越したことはありません。
投降する前に投稿してしまいましょう、後悔するのは公開してからでも良いのです。
(自己言及のパラドックスと最後の一文のダジャレが言いたかっただけでは……)
3.創作中のキャラと会話してみる
議論が行き詰まった時に打開し得る手法としてソクラテス・メソッドがあります。ソクラテスメソッドでは相手から思考力や想像力を引き出すことを目的としますが、これは創作においても応用できないことはありません。
私たちは小説を書こうとするとき「キャラ設定」「キャラを創る」と表現するように、自分ひとりで一個の人間を創ろうと頑張ってしまいます。
しかし、神様でもない限り、やはり架空の人間といえども創作するのは大変で、人物を描く段階で挫折してしまった経験も少なく無いです。
そんなときは、友達と話すときのような感覚で、創作キャラに質問してみるのも良いかもしれません。「お前はどんな奴なんだ」と。
また、キャラ設定においてはタロットカードを使って登場人物の性格や運命を占ってしまうという裏ワザ的な創作手法もありますので、どうしても困ったときはお試しください。
4.耳を傾けてじっと待つ
書けないときは、じっと待つことも大切です。
待つといってもネットサーフィンしながら待つのではなく、真っ白な原稿の前で静かに待つのが重要です。
まきちゃんまきちゃん、ちょっと筆が滑りすぎ。
うち、めっちゃ今のこの記事、消すぽよしたくなってきたで……。
賢者モードになって読み返してみると、このブログ記事も大概、痛ぽよやろ。
やっぱな、一昨日ドグラ・マグラ読んでからちょっと思考が混乱してるんや。寝不足やし。
よーし、そうと決まったら削除するでー、削除削除ぉ……。
これがまさに厄介な、《書けない症候群》のさらに上を行く《書いたけど消してしまう症候群》ですね。
文章は書けるのだけれど、書き終わったあとに読み返すとひどく失望して消してしまう。そして徒労に暮れてしまう――。
といったことに悩む物書きさんもけっこう多いようです。
小説投稿サイトに小説を連載していて、ある程度人気化しているのに突然作品が削除されている、その背景にはタナトス的消したい衝動があるのですね。
消したくなるのは、自分に自信がないからでもあり、他者の評価が怖いからでもあります。しかしながら、完璧な作品というのはいつになっても書き上がることはありません。たとえ駄作と云われようとも、一旦は公開してみて、気付きを得て、そして修正して向上していくしかないでしょう。
創作は、最初から完璧を目指すのではなく、まずは自分の書けるものを書いてみて、駄目な部分がわかったらあとから修正していったら良いんです。
最後に、消したい衝動に打ち勝つ方法はもはやひとつしかありません。
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ウリャーーーーーーーーー!!!!
(おわり)