えんどろ~!最終話はわりと深い意味があるのかもしれないという話

今期アニメは

  • 私に天使が舞い降りた!
  • かぐや様は告らせたい
  • えんどろ〜!

の3つを観ていて、どれも素晴らしかった。

一応、この記事はえんどろ~!最終話の感想なのでネタバレが含まれてしまうのだけれど(といってもネタバレというほどのものではないが)結論から述べると、えんどろ~!とは「エンドロール」の物語なのだと感じた。

エンド‐ロール
(和製語 end roll)映画やテレビドラマなどの終りに、出演者やスタッフを紹介する字幕。

※広辞苑 第七版

本来の「エンドロール」の意味は上記のとおり。

しかしここで言いたいのは「End-Roll」ではなくて「End-Role」なのではないか、ということ。

ハッピーエンドのために「Role(役割)をEnd(終わらせる)」のが、この物語の一貫したテーマだったと思う。

ユーシャは「勇者」を捨て、マオは「魔王」を捨てる。

ローナ姫は「勇者」としてではないユーシャを好きになり、マオの名もない「従者」はメイゴという名を手に入れマオの家族となる。

役割や運命から開放され、おのおのが自由で真っ白な未来を手に入れる。

えんどろ~!12話はニコニコ動画で見ると、『デウス・エクス・マキナだ(ご都合主義的ハッピーエンドだ)』といった趣旨のコメントがいくつか散見された。

でもボクはむしろ正反対に、当作品は『デウス・エクス・マキナ(舞台装置)からの解放』だと捉えている。

物語の主人公は、必ず、自分が何者かであらねばならない。宿命を背負い、目的を持ち、大きな意志を持って困難を乗り越えなければならない。

だって物語なのだから。勇者なのだから。

本作は、キャラクターが本来であれば背負うべき、ある種苦しみの呪縛とも呼べる「役割」を、あのちっちゃなドラゴンがパクリと呑み込んで消し去ってくれた。

シリアスキラーなちびドラゴンちゃんのおかげで、とても心安らかに観られるアニメだった。

一転して暗い話になるけれども、

ボクは学生時代、就職活動で失敗したとき、自殺を考えるほどに精神的に追い詰められた。

《正社員》あるいは《社会人》といった役割概念(ロール)によって、苦しめられていたのである。

しかしよくよく考えてみれば、そのようなくだらない《概念》によって死に追い込まれるだなんて、馬鹿馬鹿しい話ではないか。

結局、就活で失敗してフリーランスになって、そこでもやっぱり大失敗した。

フリーランスになっても、新しいアルバイトを始めても、何者にもなれない自分、劣等感、自虐、自己肯定感の欠如、アイデンティティの喪失、そういったあれこれの苦しみからは自由になれなかった。

今はまた正社員を目指して就職活動中の身であるが、自分の精神を蝕む《概念》からはものの考え方次第で案外簡単に脱却できるのかもしれない。

えんどろ~!最終話は決して、ご都合主義的にハッピーエンドになったのではない。

ただほんのちょっと、セカイの見方を変えて幸せを手にしたのである。

エンドロールのその先は……、すなわちロールとしての生き方に終止符を打ったその先にあるものが、何者にもなれなかったボクらが幸福に生きられる世界なのかもしれない。

(了)

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当記事の執筆者
五条ダン

研究対象は《ナメクジオバケ》。「現実は甘くない。だからこそ甘さが必要である」をモットーとする。修辞技法(レトリック)の分析を得意とし、文体に重きを置く創作スタイルを好む。しかし筆速はナメクジの歩みのように遅い。

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