けものフレンズ最終話考察「かばんちゃん」が鞄を手放さない本当の理由

当記事では、アニメ「けものフレンズ」の主人公であるかばんちゃんが、どうして《かばんちゃん》と呼ばれなければならなかったのか、その意味について考察する。

なお、けものフレンズ最終話までのネタバレを含むため、未視聴の方はブラウザバックされたし。

下記に最終話とは無関係の、僕の描いた「雪山編:Another」の漫画を置いておく。その間にお逃げください。

(画像:僕はてっきり、雪山編ではこのようにして解決するものと予想していた)

第10話 ロッジ編「かばんちゃんの鞄は《荷物》ではない」

さて、最終話の考察に入る前に、非常に重要な「第10話 ろっじ」の伏線を見ておきたい。

ロッジに到着したサーバルちゃん・かばんちゃん・ラッキービースト一同。アリツカゲラの案内により一通り部屋を見学し終えたあと、サーバルちゃんが次のような発言をする。

サーバル「ねぇ、かばんちゃん。荷物置いたら探検しよ。」

第10話(02:54)

引用したサーバルちゃんの発言は、見過ごせない重大発言である。

何故ならば、この後のシーンにおいて、かばんちゃんは荷物を置いていないからだ。

サーバルちゃんが指す《荷物》は、かばんちゃんの背負っている大きなリュックサックと考えて間違いない。(それ以外に手荷物は存在しない)

ところがかばんちゃんは、背中のリュックを《荷物》とは認識していない。だから探検でも、リュックサックを大事そうに背負って歩いている。

換言すれば、この何気ない台詞は「かばんちゃんにとって鞄は荷物ではなく、置いては行けない大切なものなんですよ」ということを暗に示すシーンといえる。

第11話 セルリアン「明かされたかばんちゃんの鞄の《中身》」

第11話、セルリアンの回では、かばんちゃんの鞄の中身が明かされる。

かばんちゃんの鞄の中には、はじめは何も入っていなかった。

しかしサーバルちゃんとの旅の過程で、鞄の中身はどんどん増えていく。

1話のサバンナ地方では「地図のパンフレット」を手に入れ、2話のジャングル地方では「ロープ」を入手する。(このロープは3話の高山でも使われた)

そして6話の平原では(松明の材料となる)「巻紙」をゲットし、7話の図書館では博士から「マッチ箱」を受け取っていた。

これらのアイテムがすべて鞄のなかに詰め込まれ、11話の対セルリアンのキーアイテムとして用いられたのは言うまでもない。

すなわち、初めは《空っぽ》だった器に入れて運ぶ《何か》こそが、かばんちゃんの鞄たる本質であるのだ。

「空の鞄」が記憶喪失の象徴であるとすれば、「帽子」は覆い隠された謎の象徴だ。鞄には大切なものが詰め込まれ、帽子はやがて脱ぎ放たれる。

問い「かばんちゃんはどうして木登りのとき、鞄を外さないのか」

かばんちゃんは、鞄を頑なに手放そうとしない。作中で鞄を背中から降ろしたのは、温泉に入るときと寝るときくらいであった。

第11話、第12話でもかばんちゃんは木登りをしてみせるが、帽子は取り外しても、鞄を決して手放さなかった。

木登りのときに、重い鞄は邪魔になる。それでも、鞄を降ろさない。どんなときでも鞄をとても大切そうに背負って歩いている。まるでサーバルちゃんとの思い出を、手放すまいとするかのように。

そう、鞄に詰め込まれてゆくのは、旅の記憶であり、想い出なのだ。

もしも二人が初めて出会ったとき、サーバルちゃんが「帽子ちゃん」と呼んでいたならば、鞄がこれほどまでに重要なアイテムとはならなかっただろう。しかし帽子は「ミライさん」の遺したアイテムであって、かばんちゃんのオリジナルではない。

かばんちゃんをかばんちゃんたらしめているのは、サーバルが授けてくれた大切な名前、《鞄》なのである。だからかばんちゃんにとっては、自分が《ヒト》であることよりも《かばん》であることがアイデンティティとなっている。

第12話 最終話「かばんちゃんの記憶はどうして失われなかったか」

ここまで読んでくださった方なら、第12話の大団円がご都合主義的なハッピーエンドでないことはお分かりだろう。

巨大セルリアンに食べられても、かばんちゃんの記憶は失われなかった。

それはかばんちゃんが、想い出(記憶)を鞄の中にしまい込んでいたからだ。

いわゆる記憶のバックアップ(鞄だけに)ということである。

12話のシーンをもう一度、見てみよう。

サーバルとヒグマが、かばんちゃん救出に向かったとき、巨大セルリアンはかばんちゃんの白い鞄を体内から落としてしまう。

これは後にサーバルが「炎の紙飛行機」を飛ばすに至る直接的な伏線ともなるのだが、そもそもの《鞄が無事に救出された》という点が極めて重要である。

つまり、旅の途中で、かばんちゃんが大切に鞄の中へとしまっていた《想い出》が無事であることをこのシーンでは暗示している。

《記憶》が鞄に詰め込まれていたからこそ、フレンズ化を解除されてもかばんちゃんは記憶を留めたままだった。

以上、走り書きとなってしまった。

けものフレンズ、素晴らしい作品だった。

ありがとう。

(了)