海に浮かんだ氷山をイメージしてほしい。僕たちは水面から突き出た氷の塔を見上げて「嗚呼、あの人はなんて筆力が高いんだ。どうすればあの山のようになれるだろう」と感嘆する。
しかし、おそらく目を向けなければならないのは、海の中だ。光の当たらない、見えないセカイにこそ、筆力の本体が隠される。
前置きはこのくらいにして、さっそく本題に入ろう。
1.情報を隠すと「物語」が生まれる
情報を隠すと、物語になる。
トリックや犯行動機を隠して描けばミステリーになり、謎多きヒロインとの出会いはラブストーリーを生む。SFは世界の驚くべき秘密を暴露する。
小説を読んでいてついつい、ページをめくる指が止まらなくなるのは、隠された情報が適切なタイミングで開示されるからだ。「情報待機」と呼ばれる大変高度なレトリックである。
ゆえに、物語の面白さを分析するならば、場面においてどのような情報が未だ開示されないかを見つけると良い。
情報待機のレトリックは小説に限らず、ウェブメディアやセールスレターの世界でも好まれる。
作家が苦心して隠したであろう、情報の痕跡を探してみよう。
2.表現を隠すと「文体」が生まれる
同様に、表現を隠すと、文体になる。
ところで世に聞く「文章力」や「筆力」と呼ばれるものが、本当に客観的な指標たり得るのか、正直に言って僕は疑いを持つ。
文体には書き手各々の個性があり、その文章を良い悪いと感じるのも、読者ひとりひとりの感性に委ねられる。一概に筆力の高い低いを他者と比べるべきではない。
しかしながら、自分の持つ「文体」を伸ばすとっておきの修行法がある。知って置いて損はしない。
修行、否、ゲームと言い換えた方が良いだろうか。そう、とってもエキサイティングな遊びがある。
名付けて《縛りプレイ執筆法》だ。
すでに900文字ほど書かれた当記事の文章を読まれて、何だか違和感があるなと首をかしげた方は、相当に鋭い観察眼をお持ちである。よくぞ水面下の氷山を見破った。
今まさに僕がゼエゼエと息を切らして、ナメクジが這うようなスピードで文を書き綴るのは、何を隠そう縛りプレイのせい。ネタバレはあとでするとして、ストイックにルールを守るのがここまできついとは……ヒィィィィ。
縛りプレイ執筆法では具体的に「ある特定の表現を使ってはいけない」と自分に制限を課す。できるだけ、自分がつい多用・乱用しがちな表現を禁止すると、効果的だ。
例えばブロガーさんで、普段から「いかがでしたか」を多用しがちな場合、その表現を禁止してみて、別の表現に置き換える。
過去記事では、縛りプレイ執筆法の意義について次のように紹介した。
小説文体を作っていくための最大の秘訣は「自分に制約を課して代替表現を探す」の一点に尽きます。文体を分析するとき「どのような表現が使われているか」ではなく「どのような表現が使われていないか」に着目して見ると面白いです。
小説に限らず、ブログやライティングの腕を鍛えるのにも、縛りプレイは有効だ。表現を縛れば、推敲する手間が生まれる。推敲によって相応しい代替表現を見つけられたならば、表現の幅はより広がるし、苦労した分、確実に自分のものとできる。
そろそろじれったいし、ネタばらしをしよう。
当記事では執筆にあたって、下記の表現を「禁止」した。慣れないうちは、ここまで縛らない方が良いだろう。
でもだんだんと、この縛りが快感となってゆく。
当記事の禁止表現(縛り)リスト
ルール:執筆時に下記の表現を使ってはいけない
- ~ので、~(の)ため、そのため、なので
- ~という
- こと
- ~している、~ている
- あれ、これ、それ
- 逆説の「が」「だが」
- ~してしまう、~てしまう、~てしまい
- ~したい
- 直後文章末尾の語句重複(~する。~する。~だった。~だった。…等)
- そこで、そして
- じつは
- ~など
- 必要
- もし、あるいは、かもしれない
- ~たり、~たり
このルールは以降の文章でも適用される。
いずれも文章中で多用しがちな表現であるものの、使用禁止したところで意外と書き進められるのが分かると思う(だが実際にやってみると簡単そうで骨が折れる。1~5番あたりとくに……)。
執筆にマンネリを感じたときは、ぜひ遊び感覚でやってみよう。
繰り返しになるけれども、特定の表現を使わないと、独特な文体が生まれる。
個性的な文体の書き手を見かけたら、自分が普段は使わないであろう表現を文章中に探してみよう。きっとその人は、意図して言葉を置き換えたはずだ。
3.言葉を隠すと「語彙」が生まれる
「縛りプレイ執筆法」の発展系で、語彙を飛躍的に増やす方法がある。
簡単に言えば、先ほどの表現縛りならぬ《五十音縛り》で、例えば「あ」を禁止すれば「あ」を含む言葉が使えなくなる。
ありがとう、朝、愛、挨拶、アンパン、雨、明暗、不安、エイリアン……のように「あ」を含む語句の使用が禁じられる。
言い換え例は次のとおり。※代替表現でももちろん「あ」は一切使えない
ありがとう → 感謝の言葉を述べた。
朝 → 窓から陽が差し込み、ウグイスがずっこけたような調子で歌い出す。僕はベッドから体を起こし、眠い目をこすった。
愛 → 大切な人を思い、心の底から胸を貫くひとつの感情が湧き起こる。
挨拶 → 「おはよう」と彼は朗らかな口調で言った。
アンパン → つややかな丸いパンを両手に頬張ると、中の甘味な食材が舌に触れる。聞くところによると十勝小豆をすり潰して砂糖で煮込んだものらしく、見かけは真っ黒いのに口に入れると大層和やかで芳甘な味覚をもたらすのだった。(※餡子・小豆・味は「あ」を含み、使えない)
残りはぜひ読者諸君で挑戦いただきたい。(決してアンパンで力尽きたんじゃないですよ。震え声)
なお、「あ」の禁止はまだレベル1で、次のステップでは「あ」と「か」の両方を禁止する――と、縛りのレベルを上げてゆく。(理論上はレベル48まである!)
トレーニングの参考書には、筒井康隆の最高傑作『残像に口紅を』を読まれたし。(リンク先はAmazon)
本作は実験小説のひとつであり、ここで述べた縛りプレイのように「あ」や「い」や「う」を含む言葉が次々と使えなくなり、使用語彙がどんどん制約されてゆく。
最後の方では使える言葉が減りすぎて「たんたんめん!」「わんたんめん!」みたいな感じになるのだけれど、とにかく本当に恐ろしい小説で、筒井康隆の圧倒的な筆力を目の前に我々作家志望はただただ打ちひしがれ、地面にひざまずき、静かに涙を流すしかない。
かつて読書メーターに、僕はかような感想を残した。
世界を観測するのは《私》であるが、世界を言い表す語彙の数が、人それぞれ異なるのであれば、私は筒井氏と比べて何と色褪せた世界で暮らしてゐるのだらうかと。この小説を読んで本当に恐ろしくなつたのは、自分自身の「欠落」を自覚させられたからである。
大げさに思われるだろうか。いやいや。本当に本当に、筒井康隆の『残像に口紅を』ほどに僕が恐怖し、影響を受けた小説はこの世に無い。
筒井康隆ご本人さんはこないだツイッターでの投稿が炎上し、物議を醸したけれども、たとえ筒井康隆を好きになれなくても『残像に口紅を』だけは騙されたと思って読んでみてほしい。
まとめ
最後に、当記事で伝えたい事項をまとめておこう。
- 特定の情報を隠して、適切なタイミングで開示すると面白い物語が生まれる
- 特定の表現を禁止してより相応しい代替表現を探すのは、良い執筆訓練になる
- 独特な文体には、使われなかった表現が隠される
- 五十音縛りでボキャブラリーを増やそう
- 筒井康隆の『残像に口紅を』は恐ろしい
以上、文章を書く人のお役に立てれば嬉しく思う。
(了)