ロゴとアイコンも大幅リニューアルしましたし、調子に乗ってうっかりはてなブログProにも登録しましたし、私たちのブログもついに本格活動するときが来ましたね。
ずばり「ときまき!」の目指しているものって何なのでしょうか?
なにそれおいしいのん
えっ……まさか……なにも考えてないんじゃ……。
小学生の頃の自由帳を探し求めて
自分にとってブログとは何やろかと考えてた。
「人生とは何か」「創作とは何か」「ブログとは何か」のような抽象的な問いは、必ず何らかのメタファー(比喩)によって答えが導かれる。
うちの場合はそれが『小学生の頃の自由帳』やと気づいた。
自由帳のワクワク感はすごい。真っ白なページに魅惑を覚えるのは、自由帳の他にはなかなかない。
真っ白な履歴書、真っ白な原稿、真っ白な卒業論文……どれも発狂したくなるような悪夢や。けども、真っ白な自由帳にはキラキラとした夢が詰まっている。
ブログのまっさらな記事投稿画面がもしも輝いて見えるのなら、それはブログが自由帳と同じ性質をもっているからかもしれん。
一言で表すならば、まだ見ぬ世界のワクワク感が自由帳を輝かせているんやと思う。
自由帳に落書きしていた頃のワクワク感を思い出したい。それがブログを書くひとつの衝動である気がする。
自由帳には、秩序も目的もない。あるのはただ《理解不能のデッサン》と《渾沌に満ちたポエム》だった。訳の分からない、理解できない、謎に満ちた世界について空想をして、思いのままに書き綴る。
タイムマシンの設計図を描いたり、切り離されたトカゲの尻尾はどこへ消えるのかを真剣に考察してみたり、「円周率の文字列には規則性がないんだ」とドヤ顔で教えてくれた算数の先生に歯向かうために必死で数を足したり引いたりして3.1415の謎を解き明かそうとしたり……。
目的もなく、意味もなく、理由もなく、セカイについて思索するのが楽しかった。
けれど、いつからだろうか。
「役に立つもの」しか必要ないという価値観が、「役に立たないもの」である自由帳をゴミ箱の底へと追いやった。
「わからないことをわからないままに落書きする」自由帳の存在は忘却され、「理解し整理する」ための大学ノートが本棚に並ぶようになった。
やがて学習机には、将来のための参考書、目標のためのToDoリスト、目的のためのスケジュール帳、過去を振り返るための日記、娯楽としての小説、白紙の原稿用紙、執筆用のポメラ、ノートパソコン、ペンタブ、さまざまなモノで溢れかえったけども、ついにや自由帳だけは小学生の頃の記憶に取り残されてしまった。
まだセカイが解らなかった頃
渾沌を渾沌のままに
無秩序を無秩序のままに
過去も未来も目的もなしに
自由帳になにを書いたのか――。
もういちど自由帳がやりたい。
だからこそ、カオスな雰囲気のはてな村に惹かれて、ふらふらとやってきてしまった。
結論
はてなブログの自由帳感が好き。
(文体がいつの間にか変わってる……)
(おわり)