「ドアが開き、誰かが入ってくる」小説描写考察

この記事では「ドアが開き、誰かが入ってくる」という小説描写について考察していきます。ではさっそく例文を見てみましょう。

その時、店のガラスドアが小さく開いた。顔を覗かせたのは、八歳くらいの男の子だった。サスペンダー付きの洒落た茶色のズボンをはき、革ジャンを着ている。子供は大きな目をぐるりと回して店内を見渡すと、チューイングガムを噛みながら「ママ……」と言った。

引用 小池真理子 著 『喪服を着る女』 収録短編集 『恐怖配達人』(双葉文庫1993年)

人物描写の手本とも云えるべき文章です。何の変哲もない一シーンですが、なかなかこういった描写は書くことができません。本作は物語もなかなか面白いのですが、ここではあくまでテクスト論に終始することとします。

さて、上記の文章をふつうの人が書いた場合、こんな感じになってしまうでしょう。

その時、ドアが開いて男の子が入ってきた。男の子はチューイングガムを噛みながら店内を見渡すと「ママ……」と呟いた。

ふつうの人、というか、多分私が何も気にせず小説を書くとたいていこんな表現になってしまいます。情報量が少なく、リアリティの失われた文章ですね。手本となる描写に近づけるためには、いくつかのステップを乗り越えていく必要があります。

1.ドアが開いたことをどうやって書くのか

例文から読み取れるドア

  • 店のドアである
  • ガラスのドアである
  • ドアは小さく開いた
  • 手動ドアである

現在では店のガラスドアといえば自動ドアが主流ですが、作中のドアは手動のようです。このあたりは「ドアが小さく開く」「顔を覗かせる」という表現から読み取れますね。また、時代背景としてこの作品が書かれたのは1990年であることを付記しておきます。

ここで必要とされる情報は「どこのどんなドアがどのように開いたのか」ということです。

2.誰が入ってきたのか

例文から読み取れる人物

  • 八歳くらいの男の子(年齢&性別)
  • 服装
  • チューイングガム
  • 店内に入ってからの行動
  • 「ママ……」

年齢・性別・服装までは人物描写における基本かもしれません。服装やチューイングガムを噛んでいることから、ある程度裕福な家庭に育った子でわがままに育てられているのでは……という想像が働きます。

また、「ママ……」の呟きから、店内にいるお母さんを捜しに入ってきたことが分かります。これらの情報を違和感なく伝えきれるのは流石と云えるでしょう。

3.表現技法「ドアワープ」

この描写では、ドアワープと呼ばれる技法が用いられています。よくよく読んでみるとこの描写、「少年が店のなかに入ってきた」とは一言も書いていないんですね。

ドアが開く→男の子が顔を覗かせる→男の子の服装→男の子店内見渡しママを捜す

もちろん「顔を覗かせた」という表現が店内に入ってくることを表す代替表現とはなっています。しかし読書中の印象としては、ドアが開くシーンから子供が店内を見渡すシーンに至るまでこうシームレスでふっとイメージできるというか……うーん、なんて表現すれば……。

とりあえず、ドアワープの別の例を挙げてみましょう。

やっと客間のドアのあく音がして、瑛子がこっちの部屋へ出て来た。

(引用:宮本百合子 著 『海流』 新日本出版社1937年)

蓬莱和子が、ベンチと云われた侮辱に答えようとした時に、ドアがあいて、はれやかな南原杉子の声。

「御花届いて? ああ、あるわ、いいでしょう」

(引用:久坂葉子 著『華々しき瞬間』 六興出版)

やがて、応接間のドアが半分開かれ、案外はにかんだ顔の真佐子が、斜に上半身を現した。

(引用:岡本かの子 著『金魚撩乱』 筑摩書房)

 ドアが音も無くあいて、眼の大きい浅黒い青年の顔が、そっと室内を覗き込んだのを、男爵は素早く見とがめ、 「おい、君。君は、誰だ。」見知らぬひとに、こんな乱暴な口のききかたをする男爵ではなかったのである。 青年は悪びれずに、まじめな顔して静かに部屋へはいって来て……

(引用:太宰治 著『花燭』筑摩書房)

ちょっと引用が度を過ぎますかね。ここで挙げたのは青空文庫全文検索サイトで「ドア」と入れて見つけたものですので、興味のある方はぜひ原作を読んでみてください。

上記に共通しているのは、ドアが開いて人が入ってくるだけなのに、プロの小説家は素直には書かないんですね。ちょっとふつうに文章を書いているだけでは思いつかない書き方でドアを開け、人を招き入れます。

何気ない描写こそ、こだわりぬく価値がある――という割とありきたりな結論で締めておきましょう。(逃げ……ドアワープどこ行ったし

最後に、小池真理子さんの『恐怖配達人』のレビューをば。

えーと、これは短編集で全六篇収録されています。

タイトルは

  1. 梁のある部屋
  2. 喪服を着る女
  3. 死体を運んだ男
  4. 老後の楽しみ
  5. 団地
  6. 霧の夜

文体はミステリー風味で、物語はブラックユーモア、テーマは「後悔」ですかね。

まぁ、面白いです。すべての話には、ひとつのお決まりのパターンというか共通項があるのですが、これがドーン!と決まるところがある種のカタルシスですね。(何書いてるのかわからん

結論としては面白いです。シュールな笑いをしたい人におすすめですね。人生の選択肢を誤って落ち込んでいるときなどに読んでみると良いかもです。

この記事の続編

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続編となる記事を書きました。合わせてお読みいただければ嬉しいです。