これは小説を書くときの創作理論なのやけど、およそブログにも当てはまるので紹介してみようと思う。結論はタイトル通り。
ひとの心を打つ記事は「たったひとつの伝えたいこと」のために全力を尽くす。
ライフハック記事の与える『満足感』
よくライフハック系のサイトで、こんなんあるやん。
『あなたの人生を充実させるために気をつけるべき28のポイント』みたいなタイトルの記事。そういった記事は、情報量が多くて良いこともたくさん書いてるんで、読者に満足感を与えやすいというメリットがある。
記事を読んでみると「分かる分かる」「せやな(共感)」「とりあえずはてブしとこ」みたいな気持ちになるんやな。
つまり、あの手の自己啓発的な記事は、読者にひとときの安心感・満足感・リラクゼーションを提供するということに意義があるんや。
架空記事「あなたの人生を充実させる46の秘訣」
7.自分自身にイイネ!をする
12.ツイッターを閉じます
21.海外旅行に行ってみる
28.はてなブログを始める
34.挨拶の習慣
42.姿勢を正す
ただし反面、その記事で伝える内容というのは、読者の心に留まりにくい。記事に書かれてあったことはすぐに忘れ去られてしまう、といったデメリットがある。
たくさんの良い習慣を列挙したライフハック記事を読み終わり、10分経った頃に内容を思い出そうと頑張ってもちっとも思い出されへん。(だからブックマークするんやけど)とにかく内容は心の表層を素通りしてしまう。
せやから、本当に読者の心に届かせる記事を書くときには「伝えること」をたったひとつだけに絞る必要があるんやね。
たったひとつでも、心にさえ届けば記憶に残る記事
ただひとつの主張を伝えるために全力を出している記事というのは、少なくとも方向性が合えば、読者の心を響かせることができる。
諸刃の剣的なデメリットとしては、読者の考えとミスマッチすれば満足感どころか不快感を覚えさせてしまうこと。
読者の感情を動かす役割を持つ《小説》を書くときにも、作品中に置く《伝えたいこと》はひとつだけにする。(テーマが複数あると物語の軸がブレるため)
物語論については後述するけども、ブログで「1記事につき1主張に徹する」ことは、ひとつの方法論としてはありとちゃうかな。
例えば上記のライフハック記事だと、次のようにした方が心には響く。
架空記事「ツイッターを閉じることから僕たちの人生ははじまる!」
人生を充実させるために僕たちにできることは、まずツイッターを閉じることだろう。ある研究所の出した試算によると、我々人類が一生のうちにツイッターに費やす時間はなんと……
心には響いてるけど女の子はすごく嫌がってますよ!!!
売れてる物語はひとつだけのテーマで勝負している
こっからは物語論やけども、小説にせよアニメにせよ、ヒット作品はたいていひとつだけのテーマを貫いているんやな。テーマをあちこちにブラさないことが大切。
なんか適当に作品を挙げてくれたら解説するで。
じゃあ、ジブリの「千と千尋の神隠し」はどうなんですか?
あれは、家族愛、労働観、拝金主義、自然破壊、孤独、大人と若者……等、幾重ものテーマが内包されていて、観た人によって心に感じることは様々でしょう。
私は良い物語というのは、複数のテーマが重層的に折り重なって初めて成し得るものと思うのですが。
(いっつも思うけどまきちゃんのマジレス怖すぎるわ……)
「千と千尋の神隠し」については、高次的な考察においてはたしかに複数のテーマが隠されてるんやけど、あくまで物語として見た場合に一番伝えたいことは「千尋(主人公)がさまざまな経験を経て成長すること」に集約される。
せやから、「千尋が釜爺のところで石炭を運ぶ」「腐れ縁に刺さった釘を抜く」「ハクを守るために身を挺する」「カオナシと行動を共にする」等、いろんなエピソードがあるけども、そのすべてが「主人公の成長」というたったひとつの目的のために存在しているんやね。
よく創作者がやらかしてしまいがちな失敗として、仮に千と千尋の神隠しを書くのであれば次のような余計な要素を入れてしまう。
- ハク×千尋の、ラブコメ要素を入れる
- 湯婆婆 vs カオナシの、熱いバトルシーン描写に力を注ぐ
- 世界観を説明するために、神々と人間の関係性とその歴史について回想を入れる
- カオナシの手から溢れだす砂金や、ハクの盗んだ印鑑の謎を解くべく、ミステリー展開にする
これはこれで面白いかもしれへんけども、やってしまうと物語の軸がめっちゃ揺らいでしまうやろ。注意深く見ていれば、千と千尋の神隠しで描かれるシーン・エピソードはすべてが主人公を成長させるためにあることが判る。
うちが言う、テーマの一貫性とは、このレベルでの話なんやね。
もちろん、あとから作品を考察してみると様々なテーマが内包されていて感動を覚えるかもしれへん。けどそれは物語という大樹のひとつの幹に沿って伸びている小枝につけた葉の瑞々しさに目を見開くのと同じ。木を支えるのは一本の幹や。
物語の幹が複数に分かれていると、迷子になってしまうしな。
人間は複数のことを同時に考えられないので、同時にふたつのことは語らない方が伝わりやすい。これは小説に限らずいえることちゃうかな。
水を差すようで悪いですが、もう少しツッコミますね。
『新世紀エヴァンゲリオン』はどうですか?
あれは第一に、主人公の成長を描いた話ではありません。
第二に、主人公だけでなく、綾波レイや惣流アスカラングレーなど、他のキャラもそれぞれの対立・葛藤を有しており、テーマを持っています。
物語についても、ロボットバトルもあれば、ラブコメっぽいのもあれば、サスペンス展開もあり、さらには非常に哲学的な描写もあります。謎に包まれた意味深なシーンもあり、その目的性を読み解くのは難しいです。
エヴァのテーマについて、ときちゃんはどう考えますか? ちなみに下手なことを書くと(エヴァの熱烈な研究者は多いので)ファンに怒られるかも……。
(なにそれ怖い……)
エヴァはたしかに難しいんやけど、アニメ版を見る限りにおいては「少年少女のアイデンティティ形成」ということでテーマは一貫しとる。これは主人公の役割存在を考えてみれば分かると思うで。
- 碇司令の息子としての自分
- エヴァパイロットとしての自分
- 学生としての自分
あるいは人類補完計画然り、クローン然り、渚カヲル然り、すべてはアイデンティティ形成において非常に重要なキーとなっている。
エヴァはうちも子どものときに見とったけどな、あの頃の自分というのは、あるとき自分が何でもできるような万能感に包まれたかと思うと急に自信を無くしてきっと何者にもなれないと塞ぎこんだり、クラスに馴染めず教室で孤立していて生きている実感が欲しくて六甲山頂で沈みゆく夕陽をいつまでも眺めていたり、将来のことで親と対立して自分が本当に愛されているのかと眠れない夜を過ごしたり、バレンタインデーの日に少しだけ自意識過剰になってみたり、それから(中略)
そういった不安定な自己形成(アイデンティティ・クライシス)を抱く少年少女に向けた、ひとつの『生の絶対肯定』(僕は今此処にいても良い)というのがエヴァの伝えたかったテーマであり、賛否両論ある最終話やけどもテーマを貫き物語を完結させるためにはあのラストしかあり得んのやね
まずエヴァ考察に際してアイデンティティ・クライシスと消極的自己愛とエディプス・コンプレックス、それから世界=内=存在とニヒリズムの本質の話を始めるけども……
(しまった、火に油を注いでしまった……)
まっ、待って!!
今、エヴァについて語りだすと主張の軸がブレて、このブログ記事のテーマがめちゃくちゃに……。
せやな、そろそろまとめに入ろか。
結論はタイトル通り。ブログ記事、アニメ、小説などあらゆる作品において、人の心を打つ記事は、たったひとつの伝えたいことのために全力を尽くしている。
最後に、ドイツの哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーの言葉を引用して締めくくっておきたい。
すぐれた文体であるための第一規則、それだけでもう十分といえそうな規則は、「主張すべきものがある」ことだ。これさえあれば、やっていける。
ショーペンハウアー/訳出『余禄と補遺』著述と文体について/光文社古典新訳文庫『読書について』訳:鈴木芳子