止まらない耳鳴りが精神に与える影響を甘く考えていた

耳鳴りに起因する自殺や殺人は、事例がいくつもある。命にかかわらないはずの症状はしかし、たしかに人の命を奪っている。

私は正直、「止まらない耳鳴り」が精神に与える影響を甘く考えていた。あらゆる病気に言えることだ。やはり自分で体験してみないと、その本質的な恐ろしさはなかなか理解できない。

耳鳴りを発症した日は今でも覚えていて、なんだかいつもの耳鳴りとは明らかに《質》が異なる気はしたのだが「まあ耳鳴りだし寝たら治ってるか」と考えて眠りについた。

しかしその日以降、耳鳴りは24時間常に一定の音量で鳴り続け、寝ることさえままならない日々が続く。眠ろうとすると左右の耳鳴りがハウリング現象を起こして負の増幅ループが発生し、耐えられなくなって飛び起きてしまうのだ。

囚人にヘッドホンを装着して延々と音楽を聴かせる《音責め》と呼ばれる精神的拷問がある。まさにそれ、といった感じだ。

拷問と同じで、逃れる術がない。テレビを見ていようが賑やかな商店街を歩いていようが、耳鳴りは絶えずつきまとってくる。

発症してから5日目にはもう、安楽死する方法をインターネットで調べ始めていた。正気に戻ったときに冷や汗がどっと出た。まさか耳鳴りに、これほど強い希死念慮を誘発する作用があるものとは想像もできなかった。

弊著『妹の左目は、冷凍イカの瞳。』において、人類に自殺衝動を沸き起こすウイルスを題材に私はパンデミックホラーSF小説を書いた。

当時、やはりウイルスのくだりにリアリティを出すのが難しいなと感じたものだが、なるほど、今なら圧倒的リアリティを持った最凶のホラーが書けるだろう。

自分の精神力が、そのときまで残っていればの話だが――。

耳鳴りの問題は生活の質(QOL)を下げることだ、といった話がネットの解説文には書かれている。実際はそんな生易しい問題ではない。仕事はもちろんながら、日常生活に大きな支障をきたす。

私にも物書きとしての矜持があるから、決してこんなところで屈したくはない。しかし得るべき教訓があったとするならば、人生は何があるかわからない。

それゆえに、自分の書きたいものは書けるうちに書く。書けるときに書けるものを書く。後悔を残したくない。できることをできるうちに精一杯やっておきたい。

なんにせよ思った以上に精神的消耗が激しい。3年前に神経性胃炎に散々悩まされたときのことが可愛く思える。

もちろん今は病院にかかっており、まずは治療に専念したい。

(了)