レトリックを身につけよう!(楽しいピクニック編)

レトリックが小手先のテクニックだと思われるのは、悲しい。レトリックは「書くこと」そのものである。レトリックを知れば、文章を書くのは楽しくなる。

はっきり言って、僕のような、ライターを本業としている者であっても、原稿を書くのは苦しい。とても苦しい。「あぁぁぁああ、うまく書けないよぉ!!」と頭を抱えてベッドの上をのたうち回るのは、日常茶飯事だ。

「俺って適性がないのかな……」と思い悩むことだってある。文章のセンス、切れ味、上を見れば果てしなく、自分のちっぽけさが惨めになってしまう。

それでも、僕は、良い文章が書けることを知っている。それは自分の文才を信じているからではなくて、偉大なる先人達が築き上げたレトリック(修辞技法)の素晴らしさを信じているからである。

自分の才能に自信が持てないのなら、レトリックの神を味方につけよう。きっと、僕たちの良き友となってくれるはずだ。

楽しいピクニック

今日は「ピクニック編」と題して、6つのレトリックをご紹介したい。どれも使いやすいものばかり。小説、ブログ、アフィリエイト(?)あらゆる場面で活用できるはず。

最初のうち、意図的にレトリックを使うのは、何だか気恥ずかしい感じがすると思う。その「恥ずかしさ」が大切。小説や文学といったものは僕に言わせれば「恥の昇華」に他ならない。恥ずかしくても大丈夫。黒歴史なポエムをいっぱい書いているうちに、文章はうまくなる。僕もがんばる。

例文:今日はいい天気なので、ピクニックに行きます。(お題)レトリックを使って、上の文章をおもしろくしてみましょう。

「今日はいい天気なので、ピクニックに行きます。」まさに退屈しそうな文章の典型例だけれども、これをなんとか読ませるものに変身させたい。以下に回答例を示し、レトリックの紹介をしていこう。

1.情報待機――「謎」で読者を引っ張る技法

 今日、私がどこに行ったのか。あなたがそれを知れば、驚きに腰を抜かすに違いありません。朝起きて、何気なく窓を開けて、空を見上げたんです。澄み切った青い空に、一片の雲が浮かんでいました。雲は私に語りかけます。「さあ、ピクニックに出かけよう!」と。

情報待機は、出すべき情報を先送りにして、読者の気を引く技法だ。例えばミステリー小説では「誰がどうやって相手を殺したのか」という肝心要の情報を隠しておいて、読者を「謎」で引っ張る。

「あなたが成功する方法を教えます!」みたいな自己啓発書だって、肝心のノウハウ開示を徹底的に引き延ばす。

(自己啓発書と情報待機の例)
  • 冒頭――ああ、なんてこの本は素晴らしいのかしら。これを読んだら人生が変わるに違いないわ!(他者からのレコメンド文で期待を持たせる)
  • 第一章――作者がどのようにドン底から大富豪へと成り上がったか。(筆者の成功体験談で期待を持たせる)
  • 第二章――今までのやり方、一般に考えられている常識的な方法が、どれほど間違っているか。(不安を煽って、次の章への期待を持たせる)
  • 第三章――作者のノウハウを実践することによって得られる素晴らしいメリットの数々。(未来を想像させ、やはり次の章への期待を持たせる)
  • 第四章――ノウハウについて(ようやくここから本題が始まる)
  • あとがき――肝心のことが知りたかったらセミナーに参加しましょう!(オチ)

このような構成を取る自己啓発書もあるが、えげつない。情報待機では読者の「知りたい」という欲望を逆手に取って、どこまでもどこまでも引っ張ってゆく。

縦にやたらと長いセールスレターも、長々とエピソードを読まさせる構造だ。肝心の商品とその値段については、最後の最後に書いてある。

「わざわざ貴重な時間をつかって広告文を読んだのだから、これは買う価値のある商品なんだ」と思い込んでしまう心理(認知的不協和)が働き、読者はついつい書き手の目論見に乗せられてしまう。

ピクニックに行く文章の場合は「どこへ行ったか」「誰と行ったか」などの情報を隠して引っ張れば、原稿用紙5枚分くらいは読者の気が引けるだろうか。(なかなか厳しい)

2.対照法――結びつけて「意味」をもたらす

 晴れやかな青空の下、どんよりとした心をそのままに、僕はどこへ向かうべきかを決めかねていた。時間はいくらでもある、はずなのに。シロナガスクジラよりも大きな雲がゆっくりと空を泳ぎ、ちっぽけな人間の僕があくせくと走り回らなきゃいけない。

頭のなかで、二つの声が同時に響いた。

「ピクニックに行こうよ」「ハローワークに行かなきゃ」

対照法はその名の通り、物事を対照させながら話を展開していく手法。

ここでは

  • 晴れやか/どんより
  • 青空/心
  • シロナガスクジラよりも大きな雲/ちっぽけな人間
  • ゆっくり/あくせく
  • ピクニック/ハローワーク

と、反対の概念を結びつけて、比較させながら描写する。

本来「いい天気なので、ピクニックに行きます」の前半部分、つまり「天気の話」は余計で、削ったほうが良いのかもしれない。

ピクニックに行くからには「いい天気」であることは明白だ。書かなくても、読者は予測できる。「生憎の曇天で~」とでも断り書きのない限りは、晴れているに決まっている。分かりきっていることは、書かない方が潔い。

だからこそ「天気」の話を出す以上は、それそのものに何らかの情報的価値が欲しい。例文の対照法は、風景描写と心理描写とを結びつけることで「どうでもいい天気の話」に意味を持たせようとしている。

3.語順操作――乱して「リズム」をつくる

 走っていた。行かなければならない。今日こそは。絶対に。一天鏡の如く晴れ渡る、空の明かりが告げる。急げ。間に合わなくなるぞ。行くのだ、ピクニックへ。私は必ず今日中に、まだ太陽のあるうちに。

語順をめちゃくちゃにして、読者をびっくりさせてやろうってレトリック。小学校の国語で習う「倒置法」も語順操作の一種だといえる。

文法的には正しくなくても構わない。文体にリズムやメリハリをつけたり、異常な心境を表したいときに、語順操作は役に立つ。

4.皮肉法――褒めて貶し、笑って泣く

 康夫が精算を済ませてラブホテルを出ると、外はバケツをひっくり返したような雨だった。愛人を駅まで見送って、その姿が見えなくなるのを確認する。康夫は雨傘に隠れて、ほっと口元を綻ばせた。

アレは、いい女だった。

「……あなた」

背後から誰かが呼ぶ。まさか、と思って振り返る。

目の前にいたのは、妻、信子であった。

「お、おまえ……ど、どうしてここに……」

「いいお天気だったので、ピクニックに行ってきましたのよ」

信子は雨に全身を濡らしたまま、抑揚のない声で答えた。

皮肉法、または反語法。

ちょっと例文が相応しい例かどうかは自信がない。皮肉法では「言っていること」と「思っていること」が正反対となる。読者は暗黙のうちに、言葉の真意を悟ることとなる。

皮肉法は侮れない。読者の感情を揺さぶる強力なレトリックでありながら、文体にはユーモアをもたらす。例えば、はてなのトップブロガーにも、皮肉法を巧みに操る文彩のエキスパートの方々がたくさんいる。

「美味しそうな料理だね」「あら、お上手ですわね」「ユニークで独創的なアイデアだ!」どのような褒め言葉も皮肉法を前にすれば、正反対の意味となってしまう。恐ろしい恐ろしい。

5.誇張法――オーバーリアクションによるユーモア

 嗚呼、なんて素晴らしい天気なのだろう。肌を優しく包むように暖かい。陽の光を浴びるだけで、僕は今にも目が眩んで昇天してしまいそうだった。ガラス越しの光でこれほど気持ちいいのだ。嗚呼、外へ出たい。

二つの脚がムズムズと出発のときを待ちわびている。どこでも良いから、行くのだ。エベレストの頂上でも、ブダペストの王宮でも構わない。心が外へ飛び出たがっている。

「ピクニックだ!!!」

僕は絶叫して、病室のドアを蹴飛ばした。この閉塞したセカイをぶっ壊してしまえ。

誇張法はとにかく、大げさに、オーバーリアクションに表現することでユーモアを誘う文彩だ。

慣用句にも誇張法を用いたものが多い。「猫の額ほどの庭」「目に入れても痛くない可愛さ」「ラクダを針の穴に通すくらい難しい」「嘘ついたら針千本飲ます」など。

小説における誇張法の実例を示したい。

 それは身長六尺を超えるかと思われる巨人であった。顔が馬のように長くて、皮膚の色は瀬戸物のように生白かった。薄く、長く引いた眉の下に、鯨のような眼が小さく並んで、その中にヨボヨボの老人か、又は瀕死の病人じみたような、青白い瞳が、力なくドンヨリと曇っていた。

(引用:夢野久作『ドグラ・マグラ』青空文庫)

さすが夢野久作……。上記の文章は、化物を描写しているのではない。異様ではあるけれど『人物』のようすを描いている。「巨人」「馬のように長い」「瀬戸物のように生白い」「クジラのような眼」すべて、誇張法となっている。

読めば分かるとおり、誇張法は明喩や暗喩を伴うものが多い。

ドグラ・マグラは青空文庫で無料で読めるので、ぜひ読もう!(めっちゃ面白い)

6.列挙法――執拗に並べ立てて描写する

 ピクニックに行こう。透明な空、ゾウの形をした雲、そよ吹く風、アブラゼミの鳴き声、向日葵の香り、固く結ばれた靴の紐、凍ったペットボトル、あらゆる世界のすべてが私を肯定し、足は大地を蹴り、腕はぶんぶんと振られ、唇は陽気な歌を口ずさむ。

大自然に導かれ、誘われるままに、私はピクニックへと向かった。

列挙法では次から次へと言葉を並べ立て、圧倒する。必然的に描写はしつこくなるのだけれど、そこを武器とする。

そう、レトリックは僕たちにとって頼もしい武器であり、使いこなすと楽しい道具であり、ときとして他者を救う薬ともなれば、他者を苦しめる毒ともなる。繊細で、大胆で、我が儘で、優しくて、強固で、不安定で、扱いづらいことこの上ないけれど、その力に溺れてしまわずに、書くことを愛し続けるのであれば、これほどに良き友はいないのだから、僕たちはレトリックをもっと好きになったっていいのである。

……みたいな文章が、列挙法の例となる。じつは列挙の文彩だけでも10種類近くの分類があり、レトリック沼は深みにハマると抜け出せなくなる。

本格的にレトリックを学びたい人は

がおすすめ。(入門→発展)の並び順。

(終わり)