ネット小説で連載をやっていると、あゝ悲しきかな、更新のたびにpv数が減っていく。終いには最新話を更新しても、pv数はゼロのまま。自分の小説を誰も読まなくなってしまった事実に、そこで気がつく。
私は今まで「魔法のiらんど」「エブリスタ」「ライトノベル作法研究所」「FC2小説」「小説家になろう」「カクヨム」など、さまざまな小説投稿サイトで活動してきた。連載をやっていて《読者がだんだんと減っていく》という恐怖はいつもあった。
pv数が減るのは、もちろん読者が悪いのではない。すべては筆者(私)の実力不足が原因であり、言ってしまえば作品が面白くない。とはいえ、連載で書き始めてしまったものを今さら撤回はできない。だからこそ《今連載している作品をどうすればいいのか》という葛藤が生じる。
一番簡単なのは、未完のまま放置して、筆を折ってしまうことだ。ネット小説の世界でも「エターナる」「エタる」といったスラングがよく聞かれる。エターナル(eternal)つまり《永遠の》未完というわけだ。ネット小説でエタってしまう作品は非常に多い。
作品を未完のまま投げ出してしまうことを、私は批難できない。小説を書く苦しみはよく理解しているし、評価されない痛みもよく知っている。言い訳をすれば「サンク・コスト(埋没費用)」と割りきって損切りすることも、ともすれば合理的な判断なのかもしれない。
「おにいちゃんはさ、未完の小説ってどう思う?」
助手席から兄に声をかける。
空港へと向かう幹線道路はトンネルへと入った。
「ミカンの小説? それは美味そうだな。新しい料理のインスピレーションが湧いてくるぜ」
「そうじゃなくって、完結しないままに残ってしまった小説のこと。ネットの連載小説だとよくあるじゃん」
「ああ……そうだな。やっぱそういうのは、作品よりも作者のことが気になるよな。ある日突然、更新が途絶えて物語が宙ぶらりのまま放置される。作者に何か重大な事故や病気があったのだろうかと心配になる。でも例えば、その作者のツイッターを覗いてみたら、普段通りに元気に呟いていたりする。では彼、彼女はどうして小説の続きが書けなくなってしまったのだろう、書かなくなってしまったのだろう……と、不思議に思っていたさ、昔はな」
まだ朝は早い。
しかしゴールデンウィークの帰省ラッシュ渋滞のためか、前方の車の流れが少し遅くなった。兄がブレーキを踏みゆるやかに減速すると、後部座席の旅行鞄が揺れてカタンと小さく鳴った。
ドイツへ行くためのパスポートが入っている。
「今は違うの?」
「俺は小説を書いたことはないが、今となっては彼らの気持ちが少しは分かる気がする。終わるに終われない、けれど先に進む勇気もない。ピリオドを打ちたくても打てない。ハッピーエンドのビジョンが、未来が視えない。だから何もかも諦めて、放り出したくなる。……就職活動も、同じだからな」
「終わりが見えなくても、今現在の最善手を見つけて、実行するべきじゃないかな」
「ははは、ミユみたいな台詞だな」
兄は笑って誤魔化した。
(拙作『妹の左目は、冷凍イカの瞳。』第二章の5話より抜粋)
上記に抜粋した小説も、じつは筆を折ろうかどうか非常に悩んだ作品だった。プロットから大きく外れ、物語も破綻を来たしていた。pv数にしても低迷状態が続いていた。
そんな折、登場人物のひとりが「終わりが見えなくても、今現在の最善手を見つけて、実行するべきじゃないかな」と語りかけてきた。私が言わせた台詞でもなければ、私が考えついた台詞でもなかった。
読者が減っていこうが、物語が破綻しようが、あるいはキャラが崩壊していようが、最善手は決まっているじゃないか。私が今持てるすべての力を使って、作品を完結させる。理屈でも感情でも損得でもなく、為すべきなのだ、とそのとき強く感じた。
書き手としての、使命のようなもの――。
私より面白い話を書く人はごまんといても、自分の作品にピリオドを打てるのは、私しかいない。結果的に『妹の左目は、冷凍イカの瞳。』は、無事に完結できた。最後に【完】の文字を入れた瞬間は、心底嬉しかった。生きていて良かった、とさえ思った。
本当に『読者ゼロ』の作品を書き切った体験
先述の作品は、PV数は少ないものの、読者の方たちがいた。だから「たとえひとりでも読んでくれる人がいる以上、打ち切りは絶対にしたくない」という気持ちも大きかった。自分自身もネット小説を読む機会は多いが、突然の打ち切りほど悲しいものはない。
さておき、本当の意味で『読者ゼロ』の小説を書き切った体験がある。魔法のiらんどでホラー小説を連載していたときのことで、諸事情があって二年間ほど更新が途絶えてしまった。
二年も間があけば、もう読者はみんな離れてしまっている。もちろんpv数はゼロだ。そんな作品を書き切ることに何の意味があるのかと思われるのかもしれないが、そうせざるを得なかった。と、いうのも、パソコンの原稿フォルダの中から毎晩恨めしそうな声が聞こえてきて『助けて……あたしをここから出して……』と私に囁きかけるからだ。誰が? 未完作品のヒロインが!
このエピソードは、二つ前の記事でも書いた。

ここまで来るとホラーだが、本当に。原稿を書き切ってしまわないことには、キャラクターが私の頭の中から離れられなくなる。
『作者と作品は、切り離される』が、私の創作信念である。自分と作品とを切り離すためにも、何としてでも完結させておきたかった。
だから私は、読者がゼロとなったその連載ホラー小説を、二年越しに完結させた。心が晴れた気分だった。【完】の文字を打ち込んだとき、作中のヒロインが「ありがとう」と呟いて、成仏していったような感覚がした。登場人物がみんな私の頭の中から出て行って、作品世界での生を得る。
もはや読者のためでもなく、そして自分のためでもない。まったく意味のない行為であったかもしれないけれど、それで良かったと思う。
今まで、書き始めたことを後悔した作品はあれども、書き切ったことを後悔した作品はひとつもない。バッドエンドでも夢オチエンドでも、あるいは「俺たちの戦いはこれからだ!」エンドでも構わない。完結させることで(結果はどうあれ)心の整理はつくし、作品にとっての救済にもなる。
読者のいない小説をそれでも完結させるということは、自分と作品との間でつける決着のようなものである。そして最初の読者が自分自身である以上、どのような作品でも完結されることには意味がある。
たとえ意味がなくとも、意味があるものだと信じて書きたい。
(終わり)